第三回目のゲストは、
佐々木 絵美子(ささき えみこ)さん
(写真左)
遠山 ルミ子(とおやま るみこ)さん
(写真右)
の姉妹
秋田県羽後町出身、羽後町在住
高校在学中に理容師、美容師の勉強を通信教育で学び、卒業後資格取得、理容師・美容師として働かれ、現在は、お二人で理美容室『soeur(スール)』を経営されています。
今回も研究員の播磨菜月(国際教養大学 4年生、2021年4月から7月末の期間、NPO法人みらいの学校でインターンシップ中)と一緒にインタビューしました。
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所長)では、よろしくお願いいたします。
お二人は羽後町上到米地区のご出身ということですので、中学校は高瀬中学校(羽後町立 高瀬中学校 2016年、統廃合に伴い閉校)に通われていたのですか。
絵美子さん)はい、そうです。
所長)卒業後は、どちらの高校に進学されましたか。
絵美子さん)二人とも羽後高校(秋田県立羽後高等学校)です。
所長)他にも色々な高校がある中で、なぜ羽後高校を選んだのですか。
絵美子さん)一番は家から近かったという理由です。当時、高校卒業後は理容師か美容師になるという夢がありましたから、その勉強を通信制度で学び高校の勉強と並行しようと考えていました。ですので高校選びはそこまでこだわっていなかったというのが正直なところです。
所長)家業が理容室か美容室だったということでしょうか。
絵美子さん)いえ、両親は全く違う仕事をしていました。おじやおばが、この業界の仕事をしていたので、小さい頃から身近な仕事でした。
所長)いつ頃から、その夢を描いていたのですか。
絵美子さん)はっきりと覚えていませんが、小さい頃からぼんやりと考えていた感じです。妹は小学校の作文に『パーマ屋さんになりたい』と書いていました。
ルミ子さん)自分では書いたことを覚えていなくて(笑)
でも、その頃から考えていたようです。
所長)では、お二人とも高校生になってから理美容の勉強を始めたということですね。
絵美子さん)はい、そうです。
所長)高校では部活動は何かしていましたか。
ルミ子さん)西馬音内盆踊りを踊る、郷土芸能部に少し顔を出していました。
絵美子さん)春休みと夏休みは、秋田市にある理美容専門学校に2週間ほど通わなければならなかったので、部活動に本格的に参加することができなかったのです。
所長)なるほど。通信教育は何年間学んでいたのですか。
ルミ子さん)姉は2年間、私が受講した頃は制度が変わって3年間でした。
所長)通信教育の課程を修了したら試験を受けるということですか。
絵美子さん)そうです。
所長)では、高校卒業後に資格取得し、すぐ働こうと思っていたということですか。
絵美子さん)はい。高校を卒業してから住み込みで働き出しました。
所長)高校入学時からやりたいことが決まっているのは珍しいようにも感じますが周りの友人はどうでしたか。
絵美子さん)今思えば珍しいかもしれないですね。
ルミ子さん)当時は、カリスマ美容師ブームというかテレビで話題になることが多く、美容師が憧れの職業として注目されていましたので、周りでも通信教育で学び資格を取ろうとする人が多い時代でした。
絵美子さん)でも、途中で辞めてしまう人もいて修了した人は少なかったです。
所長)理容師や美容師以外でやってみたい職業などはありませんでしたか。
絵美子さん)特になかったですね。
ルミ子さん)私もなかったです。
というか、父が大工で職人気質な人でしたから、一度やると言ったことを辞めると言い出せない状況で…。
途中で投げ出すことを許さない厳しさがありました。
所長)そのようなお父様のお考え方があったのですね。
私の考えですが、やりたいことが決まっているなら、早く取り掛かるに越したことはないと思います。
最近では、美容師の資格取得と高卒資格が一緒に取れる高校もあったりしますからね。
絵美子さん)そうですね。
菜月)高校を卒業してから専門学校に通うという選択肢もあったと思うのですが、なぜ通信教育で学ぶことにしたのですか。
絵美子さん)おばから、高校在学中に通信教育で学ぶことが最短で資格取得できると教えてもらい、その選択をしました。
菜月)早く働きたいという気持ちがあったのでしょうか。
絵美子さん)どうだっただろう…。いち早く資格が取れる方法があるならやっておきたいという気持ちがあったと思います。ですが、いざ就職してみると、卒業後に資格を持っているのは私だけで、他の人は働きながら学校に通っているケースが多いといった状況でした。
ルミ子さん)父の影響も大きいかもしれないです。通信教育で学ぶと言ったからには後戻りはできなかったということもあります。
菜月)やると言ったことを途中で諦めてはいけないという教えだったのでしょうか。
ルミ子さん)そうです。働くお店を変えるときも「ダメだ、もっとそこで働きなさい!」と、叱られました。
所長)先程一番早く資格を取れる方法として選んだということでしたが、最短のルートを進むのは結構大変ですよね。お二人の場合、高校の勉強もありますし忙しかったと思うのですがなぜ頑張れたのでしょう。
絵美子さん)同じように通信教育を受けている友人が周りにいたから頑張れていました。送られてくる添削問題を学校で一緒に解いたりしていました。
ルミ子さん)春休みと夏休みに秋田市の専門学校に通って、他の高校の生徒と友達になったりして頑張る刺激になっていました。
所長)高校生で資格取得を目指していたということは、その頃から働くことをイメージできていたのですか。
絵美子さん)イメージはできていました。ですが、実際に働き出すと理想と現実のギャップが見えてきて辛かったです。
所長)どのようなギャップを感じたのですか。
絵美子さん)働く前は、人の姿を綺麗に変化させるという華やかな面しか見えていませんでした。実際に働き出すと、洗髪などで手が荒れることや、髪を切る以外の仕事がほとんどでした。なんでこんなことをしてるんだろうと思うことも多く、描いていたイメージとのギャップを感じました。
ルミ子さん)わたしも上辺だけしか見えていなかったです。カットの練習会で帰りが夜遅くなることもあり身体に無理をしていました。みんなが休んでいる週末やお盆などの時期に休めないというのも嫌でした。あとは人間関係ですね。様々な同僚がいる中で環境に慣れるのは大変でした。
所長)あるあるですね…。
最近はどんな仕事でも働く上での悪いイメージが先行して仕事を選べないこともあったりして…。
ルミ子さん)そうですね、この業界も入ってくる人が少なくなっています。
所長)若者が減っている状況もあり、同じような声を様々な業界の方から耳にします。
私の友人の美容師が資格を取っても途中で辞める人が多いと言っていました。お二人が言っていたようないわゆる下積み期間にギャップを感じてしまう人が多いのでしょうか。
絵美子さん)そうだと思います。資格を持っていても別の仕事をしている方がいらっしゃいます。
所長)お二人も下積み時代は大変なご経験をされたと思いますが、今こうして続けておられるということは楽しくなるような転換期があったのではないでしょうか。そういうのはいつ頃でしょう。
絵美子さん)自分たちでお店を出すまでは、大変な時期が続いていたかもしれません。
所長)えっ!そんなに長くですか!
ルミ子さん)この仕事は、勤務時間中に自由に座ったり休んだりできないといったことなど暗黙のルールがあり、自分たちの店を持ちルールから解放されるまでは結構大変でした。
絵美子さん)厳しいこともありましたが、いつか自分たちの店を持つという目標があったからこそ頑張ってこられました。もし二人のうち一人が辞めていたらもう片方も辞めていたと思います。
所長)二人でお店を出すという目標はいつ頃から立てていたのですか。
ルミ子さん)しっかり話し合って決めていたということはなく、お互い漠然と一緒に店を開きたいと思っていた感じです。実際にやろうとなったのは姉が産休の期間でした。理容師や美容師は、勤め先を変えながら先輩の技術を吸収し、自分で磨いて一人前になっていく人が多いんです。お店をやろうとなったとき、今のお店をそろそろ離れようかと考えていたこともあり、姉から「そろそろ自分たちでお店を出さない?」と誘われて決断しました。
所長)なるほど、そういう事情でしたか。
自分たちのお店を出す前に、仕事を楽しいと思える瞬間はどんなときでしたか。
絵美子さん)これまでカットや髭剃りで、追い求める理想の出来栄えに仕上げられたことは少ないですが、それでも自分がカットした髪型を喜んでいただけること、自分のカットが作品となって街を歩き、行き交う人たちが目にすると想像したときに嬉しくなります。
ルミ子さん)仕事の楽しさを感じられるようになってからは、大変さがあっても辞めようという考えにはなりませんでした。
絵美子さん)でもやはり、自分たちでお店を始めてからの方が楽しいです。経営を考えなければならないので大変ですが、それでもお店を持って良かったです。
ルミ子さん)そうだね。雇われてお給料をいただいていた頃の方が楽だったなと思います。それでも今の方が楽しいです。
所長)お店を持たれてからは、更に仕事が楽しくなったということですね。この仕事はカットの技術を提供するだけでなく、お客さんとのコミュニケーションも大切ですよね。そのあたりは苦ではなかったですか。
絵美子さん)初めの頃は苦労しました(笑)
何を話したらいいのかも分からず全然喋れなかったです。
ルミ子さん)何を話せば良いか分からず無言になっていると、先輩から「もっと話して」と指示されることや、会話の引き出しが少なすぎて「今日はいい天気ですね」だけで会話が終わってしまうこともありました(笑)
菜月)先輩から見られていると更に緊張してしまいそうですね。
絵美子さん)はい、それがプレッシャーでした。
所長)口も手も両方動かすということは慣れない時期は難しいですよね。
絵美子さん)そうです。次に何を話そうかで頭がいっぱいになって、手が動いていないなんてこともありました(笑)
所長)それが徐々にできるようになっていくということですよね。
ルミ子さん)そうです。今は仕事でコミュニケーションをとることが多いため、プライベートではそのスイッチを完全オフにすることもあったりして(笑)
所長)分かります。そういうことありますよね。
理容室や美容室って会話を楽しんだりする場所なので、サロンと呼ばれる由縁があるかもしれないですね。
ルミ子さん)そうですね。仕事中は全力でお客様と会話しています。なので話の内容によって気分が引っ張られ落ち込んでしまうこともありますが、会話することは楽しいです。
菜月)もともとコミュニケーションを取ることは好きだったのですか?
ルミ子さん)私は苦手でした。人と話すとき「この人はこんな感じの人かな。苦手かもしれない」という先入観を感じて話せなくなっていました。でも今は老若男女問わず誰とでも会話を続けられる自信があります。緊張しておられるお客様にリラックスいただくこと、その上でいかにお話しいただくかということは、長年やってきたからこそ身に付きました。
絵美子さん)私も苦手でした。幼い頃はすごく人見知りでしたが、仕事を続けていく中でコミュニケーションが取れるようになっていきました。お客様には、話し好きな方、そうでない方など様々なタイプの方がいらっしゃいます。この仕事はそのような部分で相手が機械ではなく人なので面白いと思います。
いずれ多くの職業にAIが導入されていくと予想されていますが、この職業は人にしかできないと思っています。
ルミ子さん)そうだね。播磨さんはオートシャンプーをやったことありますか?
菜月)やったことないです。
ルミ子さん)20年程前に勤めていたお店で使用していましたが、今になっても普及していないんです。普及していないということは、気持ちいいと感じるお客様が少ないからで、やはりカットや洗髪は人の手じゃないとダメなのかなと思っています。
所長)カットしながらお客さんとのコミュニケーションとれるようになってくると仕事がますます楽しくなると思うのですが、それは働き出してどのくらいでできるようになりましたか。
絵美子さん)働き出して5年は経っていました。仕事を覚えてきて心に余裕が出てきた頃だと思います。
ルミ子さん)そうだね。自分のできない髪型を注文されたらどうしようとか、カラー剤がしっかり入るかなど、不安があったときは心に余裕がなかったです。経験を積んで余裕ができてからは楽しくなっていきました。
<第2話へつづく>
取材日:2021年6月29日
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第2話は、働く前と働き出してから感じたギャップやお勤め時代とお店を持たれてからの変化などに迫ります!
お楽しみに。
お二人が経営される理美容室『soeur(スール)』の情報は以下から確認できます。
Instagram:https://www.instagram.com/soeur0424/
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