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執筆者の写真播磨菜月

所長の部屋『ゲスト:髙橋佑佳さん(第1話)』


第一回目のゲストは、

髙橋佑佳(たかはし ゆうか)さん



秋田県湯沢市出身、湯沢市在住

現在、NPO法人みらいの学校で主に、UGONEWS【ウゴニュー】の記者を担当、フリーのライターとしても活動し、取材や執筆のお仕事をされています。


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所長)では、よろしくお願いします。早速ですが大学を卒業されたのが何年前ですか?


佑佳さん)今、社会人3年目になったばかりなので、2年前ですね。


所長)高校は、湯沢高校(秋田県立湯沢高校)でしたよね。中学生の頃から高校への進学を考えたら、通える高校は色々あるじゃないですか。なぜ、湯沢高校にしたのですか?


佑佳さん)家から近いっていうのと、あとは大学進学を視野に入れてたので、進学校を選びました。



所長)大学への進学を中学生の頃から想像してたっていうことですか


佑佳さん)ぼんやりですけど、高校を卒業して働くっていうイメージはあまり持っていなかったですね。


所長)流れというか、大学へ進学するのが普通みたいな感覚ということですかね。


佑佳さん)そのような感じでしたね。


所長)そうすると、なぜ湯沢高校を選んだのですか?

家から近いという話もありましたが、大学進学を見据えると他にも進学高はありますよね。


佑佳さん)なんだろう…。なんとなくですけど、そこまで高いレベルを目指してなかったというか、他にも偏差値の高い高校はあったんですが、目標としてそこまで高いレベルの大学へ進学したいってことはなかったんです。でも、湯沢高校は大学進学っていうイメージもあったので、そこが最適かなと思って受験しました。


所長)なるほど。進路選択の際は誰かに相談しました?


佑佳さん)親ですね。あと、兄が湯沢高校に通ってたので学校のことを聞いたりしました。


所長)そうなんですね。高校で部活動は何かしてました?


佑佳さん)高校ではやってなくて勉強一本でした。というか、勉強一本じゃないと追いつけないって感じでした(笑)。放課後に遊んだりしてましたが、あとは勉強してといった感じでしたね。


所長)高校に入ってからも卒業後に就職するとか全く考えてなかった?


佑佳さん)そうですね。なんとなく大学に行くと思ってました。大卒で就職した方がいいかなというか、親の話とかも聞いていて無意識にそう思っていて、高卒で就職するっていうイメージはなかったですね。


所長)大学進学といっても、どこの大学するのか、文系・理系、学部とか、選択があるじゃないですか。そういうのはいつくらいに選びましたか?


佑佳さん)将来の夢は色々変化していて、高校生の時は、動物が好きだったので獣医とか動物看護士になりたいと思ってました。でも、2年生の文理分けで、その夢を担任の先生へ話した時「いや、お前は理系の頭じゃない」って言われて…(笑)。まあ、確かに自覚もあって、動物系の仕事に絶対就きたい!ってわけでもなかったので、向いてる方に行くかと考えて文系に進みました。



所長)多くの高校では2年生で理系文系を選びますよね。

そこから大学を選んでいったと思うんですけど、大学はどうやって探しました?


佑佳さん)高校の時は特にどういう仕事に就きたいっていうのはあまり考えてなくて、とにかく興味のある分野を学べる大学を探してパンフレットを見てました。兄が弘前大学に進学してたので、選択肢のひとつとしてぼんやりと描いていて詳しく調べてみたんです。そしたら興味のある分野の学部があったんです。


所長)何学部でした?


佑佳さん)人文学部です。今は名前変わって人文社会科学部になったみたいです。


所長)人文学部。お兄さんが弘前大学という話もありましたけど、他にも大学はあるわけじゃないですか。どうしてそこにしようと決めたんですか?


佑佳さん)なんとなく東北がいいなと思ってました。他にも選択肢はあったんですけど、兄から大学の様子や状況などについて話しを聞いてて、東北にある他の大学よりも印象が強く、自然に志望するようになりました。


所長)じゃあ、第一志望が弘前大学だったんですか?


佑佳さん)そうです。


所長)他の大学も受験しましたか?


佑佳さん)受けました。


所長)受験した大学はどういう選び方をしていましたか?


佑佳さん)国立大っていう基準がありました。子供2人が大学進学して、私立だと金銭的に負担になるので、親としても国立のほうが助かるっていうのもありました。私もできれば国立に行きたかったので、そういうことが重なって選んでいました。


所長)ちょっと生々しい話ですけど、お金の話はご両親にも相談しましたか?


佑佳さん)兄が先に進学してましたから、大体どのくらいかかるかっていう話は聞いていました。兄妹二人が大学進学すれば、家計負担は大きくなるんですが、弘前大学には授業料の免除制度があって、わたしが入学すれば補助額も大きくなって家庭的には助かるというのはあったみたいです。


所長)そういうお金の面も考えますよね…。

大学受験って当時では、人生で最大の挑戦みたいな感じじゃないですか。当然、受験勉強はすると思うんですけど、受験以外で感じていた不安などありましたか?



佑佳さん)なんだろう。他に不安に感じていたことはないかもしれないですね。一人暮らしに関しても、兄が近くにいるので親もそんなに心配してなかったのと、私も何かあれば兄に頼れるという環境でしたので。


所長)親元を離れるのは初めてじゃないですか。そこに対する不安とかって特になかったですか?


佑佳さん)私は感じなかったですね。むしろ一人ってどんな感じだろうって想像してて、自由にできるということは楽しみでしたね。


所長)実際どうでした?


佑佳さん)ホームシックに全然ならなくて一人暮らしを謳歌してました(笑)。ただ、親の方は兄妹の2人ともいなくなってちょっとつまんないっていう話をしてました。


所長)まぁ、あるあるですね(笑)

で、大学生活は4年あって就職が絶対の道でもないと思うんですけど、いつぐらいに働くことについて考えだしましたか?


佑佳さん)はっきり、いつっていうのはないんですけど、2年生か3年生の時。大学進学で県外に出たこともあって、地元で仕事したいってなんとなく思い始めて、就活前くらいに地元で仕事を探そうって思ってました。


所長)就活前っていうことは、3年の春とか夏とか?


佑佳さん)そうですね、はい。


所長)学生生活が終わっちゃうことに残念なイメージとかあるじゃないですか(笑)

そんな中、社会で働くことに対する抵抗感とか、そういうイメージとかってどうでした?


佑佳さん)大学ではバレーボールサークルに入っててOBOGの先輩がよく遊びに来てたんです。なので先輩から社会人ってどういうものか話を聞く機会も多く、なんとなくイメージができていました。社会人なりたくないっていう感じはあまりなかったですね。


所長)アルバイトはしてました?


佑佳さん)居酒屋でアルバイトしてました。


所長)じゃあ、働くイメージはなんとなく湧いているという感じですね。そこからいざ就活しますとなった時、業界・業種、職種などは、どうやって選んだんですか?


佑佳さん)地元で働きたいっていうのはあったんですけど、職種とかについて細かくは考えてませんでした。自分は何がやりたいのかと考えた時、まちづくりに関わるような仕事に就きたいっていうのがありましたので、職種というよりはまちづくりの仕事といった視点を中心に探してました。



所長)そうなんですね。でも、企業を見渡すとダイレクトにまちづくりをやってるところって極めて少ないじゃないですか。企業がおこなう事業の一部としてまちづくりがあったりするケースが多いと思うのですが、そういうのは当時理解してました?


佑佳さん)当時はそこまでは考えられてなかったかなって思いますね。やっぱり目に見える範囲のことしか分からなかったんです。今になってみれば、結局全部まちづくりにつながっているなと思います。


所長)うんうん。就活では何社受けました?


佑佳さん)受けたのは2社です。


所長)少ないですね(笑)

就活はどのようにしてたんですか?


佑佳さん)就活っていう就活はしてなくて…(笑)。みんなが就活を始めたタイミングでは、就活しなきゃって焦りを感じてなくて、むしろ無理やり就活しなくてもっていう気持ちがあったんです。周りと同じように合同説明会とかに行ってもあまり意味がないような気がしていましたし、就活するなら自分が興味のある会社を自分で探そうと考え、自分でアポイントを取って話を聞きに行ってました。そこで仕事のことはもちろんですけど、その人の生き方や、以前は何の仕事をしていて、なぜ今はここでこの仕事をしてるのかとか、そういう話を聞いて回ってました。もはや就活とはいえないレベルのことではあったんですけどね(笑)


所長)人生相談みたいな感じですね…


佑佳さん)そんな感じです(笑)


所長)じゃあ、最初に働いた会社も自分でアポイントを取って訪問したんですか?


佑佳さん)そうです。当時求人されてなかったんですけど、興味があってということをお伝えしたら「話だけでも聞きますよ」と言ってもらえて、訪問した時に地元でまちづくりに関係した仕事がしたくてって話をさせてもらいました。


所長)求人してなかったということは、会社側から門戸を開いてくれたの?


佑佳さん)そうですね(笑)ほんとにありがたいお話です。


所長)珍しいケースですね。

大学の友人はどうだったんですか?地元に帰るとか都市部に行くとか、青森に残る人とかいたと思うんですけど。


佑佳さん)どうだろう。地元に帰るって人が多く、まれに弘前に残って就職するっていう人もいました。


所長)なるほどー。県とか地域の動きとして県内学生に県内就職といったようなことがあって、弘前大学でも県内就職とか勧めてたと思うんですが、そういうのを大学生はあまり意識しないものですか?


佑佳さん)学内で地域企業が集まった説明会があって、それに行く人は結構いました。でも私はやっぱり自分の地元でと思っていたので、そこまで視野に入れてなかったですね。


所長)大学生活の中で弘前という地域に関わる機会はありましたか?


佑佳さん)地域づくりに興味があったので、弘前で活動している人たちに会いたいという気持ちはあったんですが繋がりがつくれなかったです。誰に何を聞いたら良いのかも分からないような状況でした。



所長)接点づくりが難しいですよね。探したりはされました?


佑佳さん)探してましたね。弘前で地域づくりに関連したところがないか調べてました。でもやっぱり地元っていう気持ちが強かったです。


所長)そうなんですね。

そして、働きだしたってことですね。


<第2話へ、つづく>


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第2話は、佑佳さんが働きだされてから現在の活動へどのように動かれたのか?に迫ります!

お楽しみに。


取材日:2021年5月19日

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