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執筆者の写真村上果穂

挑戦するからこそ分かること

松浦 孝行(まつうら たかゆき)さん

NPO法人みらいの学校

代表理事

勤続年数:2年



松浦さんに聞いてみました

■ご自身の経歴を教えてください

今はみらいの学校の代表、UGONEWSの編集長、10年以上フリーランスの編集者として活動しています。

大学卒業後はリクルートに就職し情報誌の取材編集に携わっていましたが、30才でフリーランスとして独立しました。その後、東日本大震災が発生し仕事の環境は一変しました。お客様であった旅行業、観光業は大打撃を被り存続すら危うい状態となりました。復興のため被災地に多くの予算が投じられ、官民が力を合わせた事業がおこなわれるなど世相や人の動きは大きく変化しました。

わたし自身も復興にチカラを注ぎたいと考え、編集のチカラを生かせる様々な事業に関わりました。津波で被災された企業の商品開発や伝統工芸品のブランディングなど、復興にチカラを注ぐ中で公的な事業に携わること、その中で成果を生み出すことはやりがいとなり、成功体験として経験値も上げることに繋がりました。このような月日を重ねていましたが、羽後町に建設される道の駅の外部ディレクターとして関わってほしいと声がかかり秋田に戻ることになりました。 その後羽後町から要望があり協力隊としてその活動をおこなうことになりました。道の駅オープン後もプロモーションに携わり、任期の後半はUGONEWSの立ち上げや掲載記事の取材、編集などをおこなっていました。



■学生時代、将来の進路をどのように決められましたか

わたしはかなり場当たり的にキャリアを変化させてきましたでした 。ですが、その変化を捉え分析して行動した自負はあります。

学生時代は本気で音楽に取り組んでいました。SONYのインディーズに2年間所属して作家として活動していましたが、実際に業界に足を踏み入れ「自分では太刀打ちできない」と感じ、音楽業界をきっぱりと諦めました。その後、パソコンのスキルや知識を活かして活躍できる仕事がしたいと雑誌の仕事に興味を持ちました。まずは大学在学中に株式会社リクルート東北支社で雑誌制作のアシスタントとして働き、卒業後に入社試験を受けてリクルートに入社しました。

おそらく自分で売り込みにいかなければ、興味を持った仕事に就けず夢で終わっていました。


■町に来られてから感じる羽後町や地域の変化を教えてください 現在、町の観光商業拠点となっている道の駅がオープンする前、転換期ともいえる時期に町に来ましたので顕著に感じる部分があります。それは、町の中に外部の人が入ってくることに無関心だった地域が、もっと外から人が来てほしいと大きく変化したことです。

特に道の駅うごができた後は、町によそ者を受け入れる機運がどんどん高まっていると感じました。道の駅うごがオープンして来場者が10万人、20万人と増え、初年度の売上目標を大きく上回る成果を上げ、町のランドマークになったという認識が広がったことで、自身の活動にも「頑張ってるね!」と声をかけていただけるようなりました。



■進路を決めかねている学生にアドバイスをお願いします

自分の興味や関心には実際に足を踏み入れ、適性を肌で感じることが大切だと思います。足を踏み入れることはチャレンジですから不安を感じることもあるでしょうが、適性だと思わなければ辞めるという気持ちで行うと、失敗を恐れることなくチャレンジできると思います。頭でっかちになり考えるよりも、まず手を動かして実際にやってみること、その経験の中で失敗や成功を繰り返し、自信をつけることが重要です。自信を持った発言や行動は説得力にも繋がりますから、多くのチャレンジで自信をつける経験をしてください。


■今後のビジョンや夢を教えてください

今も取材で多くの地域を訪れますが、更に色々な場所を訪れたいです。

様々な地域を訪れることで情報を得て地域に還元できるようになりたいです。それが個人とみらいの学校の活動の接点にもなると思います。


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取材:村上果穂

取材日:2021.09.06

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